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東京地方裁判所 平成元年(ワ)11198号 判決

原告

藤井房子

右訴訟代理人弁護士

小野幸治

被告

甲野一郎

右法定代理人親権者父

甲野二郎

同母

甲野春子

被告

甲野二郎

甲野春子

右三名訴訟代理人弁護士

小川修

松井宣

松井るり子

主文

一  被告甲野一郎は、原告に対し、金九七万九五九〇円及びこれに対する平成元年二月四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告甲野一郎に対するその余の請求並びに被告甲野二郎及び被告甲野春子に対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告と被告甲野一郎との間においては、これを五分し、その二を同被告の、その余を原告の各負担とし、原告と被告甲野二郎及び被告甲野春子との間においては、全部原告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告に対し、各自、二五五万五六三〇円及びこれに対する平成元年二月四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

(一) 原告は、平成元年二月四日午後二時四〇分ころ、JR荻窪駅南口の地下一階に通ずるエスカレーターと壁との間にある幅1.15メートル、左右両手すりの間隔0.96メートルの段階(地上入口から入って途中にある踊り場までは一六段、踊り場から地下一階フロアーまでは二二段の構造のもの、以下「本件階段」という。)の踊り場から二、三段降りかけたところ、後方より段階の手すりに手を掛けながら駆け降りてきた被告甲野一郎(以下「被告一郎」という。)にいきなり激突され、階段の二段分くらいを駆け落ちた後、手のひらとひじを強打しながら体ごとすべり落ちるような状態で転落し、最後に体を捻り右顔面を階段にこすりつけ前頭部を打って踊り場から下方二一段目で停止した(以下「本件事故」という。)。

(二) 原告は、本件事故により、左第一一助骨亀裂骨折、右外傷性肩関節周囲炎、右肩拘縮等の傷害を負い、体全体の激痛のため立ち上がれず、駆け付けた警察官が手配した救急車により田中脳神経外科病院に搬送されて治療を受けたほか、次のとおりの通院加療を余儀なくされた。

平成元年二月四日 田中脳神経外科病院

同年二月六日 東京慈恵会医科大学附属病院(以下「慈恵医大病院」という。)

同年二年八日 池田整骨院

同年二月一〇日から同月二八日まで小川外科医院

(左第一一助骨亀裂骨折等と診断)

同年三月六日から同年五月一五日まで 荻窪整形外科医院

(左第一一助骨骨折、右外傷性周囲炎と診断)

同年六月八日から同年一一月三〇日まで 北青山病院

同年一二月以降 池田整骨院

2  被告らの責任原因

(一) 被告一郎は、本件事故当時、満一二歳三か月の小学校六年生の男子であり、自己の行為の責任を弁識するに足りる知能を備えていたところ、公衆が昇り降りする狭い駅階段でふざけて故意に、又は、このような場所では他人に接触しないようにして通行すべき注意義務があるのにこれを怠った過失により、本件事故を引き起こしたものであるから、民法七〇九条による不法行為責任を負う。

(二) 被告甲野二郎(以下「被告二郎」という。)及び被告甲野春子(以下「被告春子」という。)は、被告一郎の父母であり、かねてより素行が悪いと評判の同被告が右のような無謀な行為に及ぶことのないよう常日ごろから親権者として監督すべき注意義務があるのにこれを怠った過失があるから、本件事故につき、民法七〇九条による不法行為責任を免れない。また、被告二郎及び被告春子は、平成元年六月ころ、本件事故につき、原告との損害賠償の交渉を委任した鏡健也弁護士(以下「鏡弁護士」という。)を代理人として、原告に対し、右損害については被告二郎及び被告春子において責任をもって賠償の責に任ずる旨約したから、右不法行為責任と選択的に契約責任も負う。

3  原告の損害

(一) 休業損害 二二万一一〇〇円

原告は、株式会社三基建築設計事務所に事務員として勤務し、一日平均八九〇〇円の賃金を得ていたところ、本件事故のため、平成元年二月六日から同年三月一日までに六日間欠勤し、合計五万三四〇〇円の休業損害を被り、また、同年二月九日から同年三月三日までに一四日間いずれも一日三〇分の早退を余儀なくされて、三〇分当り五五〇円の割合による合計七七〇〇円の損害を被ったほか、右欠勤、早退及び遅刻により同年七月支給分の夏季賞与を一六万円減額された。

(二) 治療関係費 一〇万四五三〇円

原告は、前記治療期間中の治療費、交通費、薬代、シャンプー及びブロー代等として合計一一万四五三〇円(平成元年五月一日までの分は合計九万九四二〇円)の支出を余儀なくされたところ、本件事故当日、被告らから一万円の支給を受けたので、これを控除した残額は一〇万四五三〇円となる。

(三) 慰謝料 二〇〇万円

原告が前記のような長期の通院加療を余儀なくされたことによる精神的苦痛に対する慰謝料としては一五〇万円が相当である。また、被告二郎は、医師であるが、原告の治療先の医院等にその負傷状況、治療内容等を執ように問い合せたり、本件階段の手すりに瑕疵があるからその設置管理者である荻窪駅を訴えてやるとか、左第一一助骨亀裂骨折を見落した田中脳神経外科病院の医師に過失があるから同医師を訴えてやるなどの発言を繰り返し、池田整骨院の治療費やシャンプー代の支払も拒否し、さらには、原告との損害賠償の示談交渉を鏡弁護士に委任し、示談が成立する状況になったのに突如として同弁護士を解任するなどの行動に出たものであって、原告が被告らからこのような不誠実な対応を受けたことによる精神的苦痛に対する慰謝料としては五〇万円が相当である。

(四) 弁護士費用 二三万円

原告は、本件訴訟の提起・遂行を原告訴訟代理人弁護士に委任し、同弁護士に対して東京三弁護士会報酬規定による報酬の支払を約しているところ、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用は、以上(一)ないし(三)の合計二三二万五六三〇円の約一割に相当する二三万円である。

よって、原告は、被告らに対し、各自、以上の損害合計二五五万五六三〇円及びこれに対する本件不法行為の日である平成元年二月四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の(一)の事実のうち、平成元年二月四日、本件階段において、原告と被告一郎とが接触し、原告が転倒したことは認めるが、その余は否認する。

本件事故は被告一郎が、同日午後二時五五分ころ、本件階段を通常の歩行で降りていたところ、地下一階フロアーから二、三段目付近において、斜め前方を降りていた原告が、突如、自ら身体の均衡を失して同被告の方によろめいてきたため、避けることができずに接触し、その結果、原告がわずかに滑るようにして最下段に転倒して発生したものである。原告は、以前から、左下肢等の違和感、腰椎などの圧迫骨折等による歩行障害、各種運動障害があり、昭和六一年九月に脊髄腫瘍摘出手術を受け、足がふらついて身体の均衡をとりにくい状況にあり、他方、被告一郎は、当時、足のかかとに成長期に伴う痛みがあり、足の親指の骨に小さなひびもあって、医師から激しい運動を禁止されており、当日は、児童絵の展覧会に一人で出掛けたものであるから、原告主張のように本件階段をふざけて駆け降りるはずもない。

2  同1の(二)の事実は争う。

原告主張の諸症状と原告の右転倒との間には相当因果関係がない。すなわち、原告は、転倒直後に、自ら起き上がり、救急車に一人で乗り込んでおり、田中脳神経外科病院及び慈恵医大病院でも胸の痛みを訴えておらず、胸部のX戦検査も受けていないから、原告主張の左第一一助骨亀裂骨折があったとしても、本件事故に起因するものとは断定できないし、また、頸部硬直、肩硬直の既往病歴があることからみて、原告主張の右肩拘縮も本件事故と相当因果関係があるとはいえない。

3  同2の(一)の事実のうち、被告一郎が、本件事故当時、満一二歳三か月の小学校六年生の男子であったことは認めるが、その余は争う。

4  同2の(二)の事実のうち、被告二郎及び被告春子が、被告一郎の父母であり、本件事故による原告との損害賠償の交渉を鏡弁護士に委任したことは認めるが、被告二郎及び被告春子において責任をもって賠償の責に任じる旨約したとの点は否認し、その余は争う。

5  同3の事実のうち、被告春子が、本件事故当日、原告の治療費一万円を支払ったことは認めるが、その余は争う。

第三  証拠関係〈省略〉

理由

一本件事故の発生

1  平成元年二月四日、本件階段において、原告と被告一郎とが接触し、原告が転倒したことは、当事者間に争いがなく、右事実と、〈書証番号略〉、証人鈴木雅之、同樋口清房、同西川勝利、同田渋公一の各証言、原告、被告一郎(ただし、その一部)及び被告春子(ただし、その一部)の各本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められる。

(一)  本件階段は、JR荻窪駅南口の地下一階改札口に通ずるエスカレーターと壁との間にある両側に手すりのついているコンクリート製の階段で、その幅は1.15メートル、左右両手すりの間隔は0.96メートルであり、地上入口から入って途中にある踊り場までは一六段、踊り場から地下一階フロアーまでは二二段の構造となっていた。

(二)  原告は、平成元年二月四日午後二時過ぎころ、本件階段の踊り場より下の右側部分を降りていたところ、後方より左側の手すりを伝って降りてきた被告一郎にいきなりぶつかられて転倒し、右前腕等を強打しながら体ごとすべり落ちるような状態で階段の下まで転落した。

(三)  原告は、通行人の通報で掛け付けた荻窪駅南口派出所の警察官及び被告一郎と共に同派出所に赴き、警察官から事情聴取を受けた後(同被告はそのまま帰された。)、救急車で田中脳神経外科病院に搬送され、診察を受けたところ、意識は清明で、見当識及び座位は良好、上肢のバレーテスト(両腕を手のひらを上にして前方に水平に挙上させそのままの位置に保てるか否かにより上肢の軽い不全麻痺の有無を判定するテスト)では左右差がなく、深部腱反射、歩行検査、頭蓋及び右前腕のX線検査でも骨折等の異常所見は見当たらず、頭頸部外傷、右前腕挫傷と診断されて、同日、帰宅した。

(四)  田中脳神経外科病院では、下肢のバレーテスト(腹臥位の状態で両側の下肢の関節を約一三〇度くらい開かせてそのままの位置に保てるか否かにより下肢の軽い不全麻痺の有無を判定するテスト)は行われなかったが、頸部のX線像に白鳥様の変形が認められたため、この点の指摘を受けた原告は、同月六日、改めて慈恵医大病院で診察を受けた。しかし、その結果、右変形像は昭和六一年九月に同病院で受けた脊髄最上部腫瘍摘出手術によるものであることが判明し、意識障害はなく、頭や首の痛み、手指の麻痺その他の神経学的な異常所見も認められなかったため、原告は、湿布薬の投与を受けて、同日、帰宅した。

(五)  ところで、原告(昭和一九年三月一九日生)は、本件事故の以前から、右手術の前後を通じ、池田整骨院で鍼灸等の治療を受けていたところ、平成元年二月八日、右肩関節から右上肢、右側胸部の痛みを訴え、同整骨院において、当該部位に低周波の電気療法を受け、左側胸部を冷湿布して包帯で固定する措置を受けた(なお、いわゆる整体と称する運動治療は行われなかった。)。翌九日、同整骨院で湿布を剥がされた際、左脇に激痛が走ったため、原告は、助骨骨折の疑いがあるから小川外科医院でX線検査を受けるよう指示され、同月一〇日、同医院で右検査を受けた結果、左第一一助骨亀裂骨折が判明し、その後、同月二八日まで同医院に通院して、胸から腹までテーピングする助骨固定術等の治療を受けた。

(六)  原告は、同年三月六日、荻窪整形外科医院に転じ、同年五月一五日まで左第一一助骨骨折、右外傷性肩関節周囲炎に対する超音波等の治療を受けたが、同年四月二四日付をもって、右肩の拘縮があり、なお三か月の治療を要する旨の診断がされ、なおも右腕から右肩・肩胛骨あたりの痛みを訴え、同年六月八日から同年一一月三〇日まで北青山病院に通院して超音波治療を受け、同年一二月以降は池田整骨院に通院した。

2  ところで、本件事故の態様について、原告は、被告一郎が本件階段をふざけて駆け降りて故意に原告にぶつかった旨主張するのに対し、被告らは、被告一郎が本件階段を通常の歩行で降りていたところ、斜め前方を降りていた原告が、突如、自ら身体の均衡を失して被告の方によろめいてきたため、避けることができずに接触し、その結果、原告がわずかに滑るようにして最下段に転倒したものである旨主張するので、この点につき検討する。

(一)  まず、被告らの右主張についてみるに、〈書証番号略〉及び被告ら各本人尋問の結果中には、被告らの右主張に沿う記載及び供述部分がある。

(二)  しかしながら、前掲1の認定に供した各証拠、ことに、原告本人尋問の結果及び原告作成名義の陳述書(〈書証番号略〉)の記載のほか、本件事故当日に関係者から事故聴取をした警察官である証人鈴木雅之及び同樋口清房の各証言と対比すると、これらの各証拠上は、細部の点はともかく、前記認定のような外形的事実については概ね符合していることが明らかであり、また、〈書証番号略〉及び証人田渋公一の証言によって明らかなごとく、本件事故の二日後に原告を診察した慈恵医大病院の田渋公一医師も、原告から右同様の説明を受け、その旨カルテに記載していることが認められる。もっとも、〈書証番号略〉によれば、被告一郎が本件事故当日に搬送された田中脳神経外科病院のカルテには、当日における同被告の訴えとして、「荻窪の駅の階段より落ちる」「人にぶつかって転落」との記載のあることが認められるが、前掲各証拠に照らすと、この記載文言だけをとらえて被告らの前記主張に沿う的確な証拠であるとは、にわかにいい難い。

(三)  そして、被告一郎の父母である被告二郎及び被告春子が、本件事故による原告との損害賠償の交渉を鏡弁護士に委任したことは、当事者間に争いがないところ、〈書証番号略〉及び右本人尋問の結果によれば、鏡弁護士は平成元年六月二一日、原告から右交渉を受任していた小野幸治弁護士(以下「小野弁護士」という。)に対し、ファックス送信により示談書の案文を送付したが、その中でも概ね前記認定に沿う本件事故の概要を記載していること、小野弁護士は、これに対し右事故概要に若干の手直しをした案文を鏡弁護士に送付したが、鏡弁護士は、同月二八日、これ以上示談交渉を進める自信をなくしたとして、被告二郎に対し書面で辞任の意向を伝え、その後、辞任したことが認められる。この点について、被告二郎は、その本人尋問の結果中において、鏡弁護士から前記示談書の案文を見せられたものの了承はしていない旨供述したところ、同弁護士の右のような対応及び原告がその後間もなく本訴提起をするに至った経緯からみて、被告らが鏡弁護士の作成した右示談書の内容を確定的に了承していたわけでないことは明らかであるが、さりとて、同弁護士が、被告らから何らの事情聴取もせずに、若しくは、その認識ないし主張に明白に反するような形で、示談書の案文に前記のような事故概要を記載したものとも、にわかに考え難いところといわなければならない。

(四)  被告らは、また、本件事故の態様がその主張のようなものであることの根拠として、原告が、左下肢等の違和感、腰椎の圧迫骨折等による歩行障害、各種運動障害があり、昭和六一年九月に脊髄腫瘍摘出手術を受け、本件事故の以前から足がふらついて身体の均衡を取りにくい状況にあった旨主張するので、この点について検討する。〈書証番号略〉、証人田渋公一の証言及び原告本人尋問の結果によれぱ、原告は、昭和五二年六月ころから左足のしびれが出現し、昭和五七年に腰椎圧迫骨折、脊椎わん曲、骨盤のずれ等ため牽引等の治療を受け、昭和五八年ころ、足底部全体の違和感を訴えて、ころびやすくなり、昭和六〇年ころには、左上下肢の血流感から歩行の開始が円滑を欠くようになったため、昭和六一年六月、左足のしびれを主訴として慈恵医大病院脳神経外科の診察を受け、MRI(磁気共鳴画像法)等による検査の結果、頸椎神経鞘腫と診断され、同病院に入院して、同年九月二六日、脊髄最上部腫瘍摘出術及び第一ないし第三頸椎椎弓切除術を受け、同年一一月一二日退院したことが認められるが、同時にまた、右各証拠によれば、原告は、右手術後、自覚的には四肢末梢の知覚障害が若干残存したが、日常生活には格別の支障はなく、昭和六三年二月の外来検査では、調子が良好で完全な勤務状況にあり、同年五月には外国旅行にも出掛け、同年七月のMRI検査でも再発は認められず、同年一〇月の外来時には、ランニングはできないが経過は良好である旨診断されたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。このような事実関係に照らすと、原告に右のような既往病歴があるからといって、直ちに被告らの前記主張事実が裏付けられるとか、これが前記1の認定の妨げになるとまで断定することは早計に過ぎるものといわざるを得ない。

(五)  そうすると、被告らの右主張に沿う前掲(一)の各証拠はたやすく信用することができず、他にこれを認めるに足りる証拠もないので、右主張は採用することはできないというべきであるが、翻って、原告の前記主張についてみると、被告一郎が、本件事故当時、満一二歳三か月の小学校六年生の男子であったことは、当事者間に争いがなく、〈書証番号略〉及び原告本人尋問の結果中には、原告の右主張に沿う記載ないし供述部分もある。しかしながら、この点に関し、被告らは、被告一郎が、当時、足のかかとの成長期の痛みと足の親指の骨の小さなひびのため、医師から激しい運動を禁止されており、また、当日は、児童絵の展覧会に一人で出掛けたものであって、本件階段をふざけて駆け降りるはずもない旨反論している。そして、〈書証番号略〉及び右本人尋問の結果によれば、被告一郎は、本件事故の約二週間前である平成元年一月二一日、左母趾痛を訴えて東京女子医大病院整形外科の診断を受け、担当医師から、左母趾種子骨折の疑いにより、一か月間スポーツを中止するよう指示されたこと、もっとも、右事故当時、右骨折が現実に存在し、かつ、同被告がその治療を受けていたような形跡はなく、成長期に伴う痛みであって、学校の体育の授業等も普通に受けており、当日は、学校から帰宅した後、被告ら主張のように展覧会に一人で出掛ける途中であったことが認められるのであって、このような事情に照らすと、原告の右主張に沿う前記各証拠はにわかに信用し難いものといわざるを得ず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

3  被告らは、進んで、原告の前記傷害、ことに左第一一助骨亀裂骨折と本件事故との相当因果関係を争うので、この点について検討する。右骨折は、前記認定のとおり、本件事故の五日後に池田整骨院でその存在が疑われ、翌日、小川外科病院におけるX線検査の結果判明したものであるところ、〈書証番号略〉、被告二郎及び被告春子各本人尋問の結果中には、右骨折は本件事故の四日後に池田整骨院で受けた整体によるものである旨の記載ないし供述部分があり、また、〈書証番号略〉によれば、助骨骨折は、日常よく見られる骨折であり、単純骨折では第五、第六骨折と第九、第一〇、第一一助骨に頻度が高く、指圧もその原因たり得るし、骨折部の限局性圧痛、介達的な疼痛のほか、呼吸・くしゃみ・体幹運動による疼痛も伴い、表面的呼吸、軽い咳嗽発作なども見られることが認められる。しかしながら、原告が本件事故の四日後に池田整骨院で受けた治療は前記のとおり電気治療等であり、整体と称する運動療法は行われなかったのであって、そこでの治療による左第一一助骨亀裂骨折の受傷の可能性を肯認することは困難であり、また、そうである以上、本件事故当日の田中脳神経外科病院及びその二日後の慈恵医大病院の診察において、原告が助骨骨折の患者に通常見られる右のような症状を訴えず、あるいは、担当医師において原告の主訴ひいては右骨折を確知し得なかったとしても、前後の治療経過等に照らすと、未だ前記認定判断を覆すに足りる決定的な事情であるということはできない。

4  原告は、前記認定のとおり、荻窪整形外科医院において、平成元年四月二四日付をもって、左第一一助骨骨折、右外傷性肩関節周囲炎により治療中であり、右肩の拘縮のためなお三か月の治療を要する旨診断されたところ、本訴において、右肩拘縮も本件事故によるものであり、かつ、平成元年六月八日から同年一一月三〇日までの北青山病院における治療並びに同年一二月以降の池田整骨院における治療も本件事故と相当因果関係がある旨主張する。しかしながら、〈書証番号略〉によれば、助骨の単純骨折は、時として頑固な疼痛が長く去らないこともあるが、通常は四週で癒合し、完全に機能障害を残さないものとされていること、原告は、本件事故の約二年四か月前に前記脊髄腫瘍摘出手術を受け、その経過観察のため慈恵医大病院に通院していたところ、昭和六二年二月には頸部硬直が、同年三月には肩硬直がそれぞれ存在したことが認められ、また、原告の既往病歴は前記認定のとおりである。このような諸事情に、原告の年齢、治療経過、本件事故の態様等を総合斟酌し、かつまた、損害の公平な負担という見地からみるときには、原告の右主張をそのまま採用することは困難であるというべきであり、結局のところ、本件事故と相当因果関係を肯認し得る通院治療は、事故当日から荻窪整形外科医院における治療の終期である平成元年五月一五日ころまでの分と認めるのが相当である。

5  以上検討したところによれば、原告は、本件階段を降りていたところ、後方より降りてきた被告一郎にいきなりぶつかられて転倒し、約三か月半の通院加療を要する頭頸部外傷、右前腕挫傷、左第一一助骨亀裂骨折、右外傷性肩関節周囲炎等の傷害を受けたものと認めるのが相当である。

二被告らの責任原因

1 まず、被告一郎の責任について判断するに、同被告は、前記のとおり、本件事故当時、満一二歳三か月の小学校六年生の男子であったが、同被告においてその行為の責任を弁識するに足りるべき知能を備えていなかったことについては、何らの主張・立証もないから、通常の成人と同一の注意義務を標準として過失の有無を判断すべきものである。そこで、前記認定の本件事故の態様等にかんがみると、被告一郎は、本件階段のように多数の公衆が昇り降りする狭い駅階段では、他人にいきなりぶつかることのないよう通行すべき注意義務があるのにこれを怠った過失があるものといわざるを得ないから、本件事故による原告の損害につき、民法七〇九条による不法行為責任を負うべきである。

2 次に、被告二郎及び被告春子の責任について検討する。

(一) 右被告らは、前記のとおり、被告一郎の父母であるが、原告は、かねてより素行が悪いと評判の被告一郎が本件のような無謀な行為に及ぶことのないよう常日ごろから親権者として監督すべき注意義務があるのにこれを怠った過失がある旨主張し、〈書証番号略〉及び被告一郎本人尋問の結果によれば、被告一郎は、昭和六三年秋ころ、学校の帰り道に自宅付近のマンションの駐車場に置いてある鉄製のポールを倒すようないたずらをしたことが認められる。しかしながら、本件事故の態様は前記認定のとおり、被告の過失行為に起因するものであり、原告主張のような無謀な行為であるとはいえないばかりでなく、本件事故前に被告一郎が右認定のような行動をしたことがあるからといって、進んで、同被告が原告主張のようにかねてより素行が悪いと評判の子であり、かつ、右事故につき、被告二郎及び被告春子が親権者として原告主張のような監督義務を怠った過失があるとまで認定することは困難であるというほかなく、他にこれを認めるに足りる証拠はない。したがって、原告の右主張は採用することができない。

(二)  原告は、さらに、被告二郎及び被告春子の契約責任も選択的に主張し、右被告らが、本件事故による原告との損害賠償の交渉を鏡弁護士に委任し、同弁護士において、平成元年六月二一日、原告から右交渉を受任していた小野弁護士に対し、ファックス送信により示談書の案文を送付したことは、前記認定のとおりである。しかし、右示談交渉は結局成立することなく終わり、鏡弁護士が辞任した前記経緯に照らすと、その過程において、被告二郎及び被告春子が、原告に対し、その主張のように、本件事故による損害につき右被告らにおいて責任をもって賠償の責に任ずる旨約したものとはにわかに認め難く、他にこれを認めるに足りる証拠はないから、右主張も採用することはできない。

三原告の損害

1  休業損害 二二万一一〇〇円

〈書証番号略〉及び右本人尋問の結果によれば、原告は、本件事故当時、株式会社三基建築設計事務所に事務員として勤務していたところ、右事故のため、その主張のとおり欠勤、早退、遅刻を余儀なくされ、これにより、その主張のような合計二二万一一〇〇円の損害を被ったことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

2  治療関係費 五万八四九〇円

〈書証番号略〉及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、本件事故当日から右事故と相当因果関係のある平成元年五月一五日ころまでの治療費、薬代、交通費及び文書料として合計六万八四九〇円を支出したことが認められる。ところで、原告は、右期間中の治療費等として、美容院におけるシャンプー及びブロー代を含め合計九万九四二〇円の支出を余儀なくされた旨主張し、その本人尋問の結果中において右主張に沿う供述をし、〈書証番号略〉にも同旨の記載があるが、原告の傷害の部位・程度、本件事故の態様等にかんがみると、シャンプー代等が本件事故と相当因果関係のある損害であるとは認め難いし、また、その余の治療費等も、前記認定を超える部分については、右本人尋問の結果及び〈書証番号略〉の記載は、裏付けを欠くので直ちに採用することができず、他にその的確な証拠もない以上、前掲各証拠によって確認し得る限度において当該損害を肯認すべきものである。原告は、さらに、平成元年六月八日から同年一一月三〇日までの北青山病院における治療費も本件事故による損害として主張するが、これが右事故と相当因果関係を欠くことは、前記判示のとおりである。そして、被告春子が、本件事故当日、原告の治療費として一万円を支払ったことは、当事者間に争いがないから、これを控除すると、治療関係費の損害は五万八四九〇円となる。

3  慰謝料 六〇万円

本件事故の態様、原告の傷害の部位・程度、治療経過など諸般の事情を総合考慮すると、原告が右事故により被った精神的苦痛に対する慰謝料としては六〇万円をもって相当と認める。原告は、右のほか、本件事故後に被告らから不誠実な対応を受けたことによる精神的苦痛に対する慰謝料をも主張するが、被告二郎本人尋問の結果によれば、同被告は、医師であり被告一郎の父としての立場から、本件事故の原因、原告の傷害の内容、治療経過等について関心を抱き、原告の治療先の医師に問合せをするなどして、それによる結果及び事故の知見等に基づいて原告と対応したことが認められるのであって、本件事案の内容にかんがみると、示談交渉の経緯も含め、被告二郎が、不法行為の加害者と目された未成年者の父として、被害者である原告に対し、社会通念上許容し難い行動に出たことを認めるに足りる証拠はないし、被告春子及び被告一郎において右のような行動に出たことを認めるに足りる証拠もないから、原告の右主張は採用することができない。

4  弁護士費用 一〇万円

原告が本訴の提起・追行を本件訴訟代理人である小野弁護士に委任したことは、記録上明らかであるところ、本件事案の内容、審理経過、原告の損害額等に照らすと、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用は一〇万円と認めるのが相当である。

四結論

以上の次第であるから、原告の本訴請求は、被告一郎に対し、以上の損害額の合計九七万九五九〇円及びこれに対する本件不法行為の日である平成元年二月四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があり、これを許容すべきであるが、同被告に対するその余の請求並びに被告二郎及び被告春子に対する請求はいずれも理由がないから、失当として棄却を免れない。

よって、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官篠原勝美)

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